私のルサンチマン

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これは、思い出話。
私の英語教師としての教訓話でもある。
そして何より、私の根底に流れるどす黒いルサンチマンだ。

私の通っていた学校はまあまあの進学校で、三年は進学希望先によって国公立・私立文系・私立理系とコース分けがされていた。
高校3年生の私は、その中の選択授業で「オーラルコミュニケーション2」という授業をとった。
それは進学に直結しない授業で、ALTがメインとなり会話の授業をする…というものだった。
私がそれを取ったのは、ひとえに外国語大学志望だったからだ。
他にとった生徒も、基本的には英語が得意で好きな者ばかりだった。
だから、どんな授業かと楽しみにしていたのだ。

けれど、そのうち、その授業は私の時間割の中でつらいものになった。
ALTは、まさに、「ペラペラ」英語をしゃべった、のだ。
そして、私達には彼女が何を言っているかまったくわからない―
どうすればいいか、どう理解すればいいかもわからず、ただ呆然とそれを聞くしかなかった。
日本人の先生はそれをやさしく言い換えるでもなく、ただ見ている。
その後、何やらハンドアウトが渡されると、懸命にそれを私達は読む。
何故なら、そこには今からやることが、「英語が文章で書いてある」から…
書いてあるものなら読めるし簡単に理解できた。
だから、私は自分が馬鹿だと思った。
こんなことさえ聴いて理解できない自分が、恥ずかしかった。
周りのみんなだって、ALTの話を聞いて理解できたわけでは…なさそうだった。
みんな、私と同じように、どこか困惑した、それでいて自分が話についていけないのを認めるのが恥ずかしいというような微妙な顔をしていた。
ああ、違う。
一人だけ心底にこにこしてる人がいた。
ALTの英語を理解できる…帰国子女。

誤解しないでもらいたいが、その当時私は英語においては学年でトップクラスの生徒だった。
だからこそ進学先には外国語大学を選んだのだ。
英語には自信があったし、一番時間をかけて勉強していた。
でもその授業を聞いてわからないのがつらくて、いつもその時間はテンションが低かった。
「わからない」ということが、
「話についていけない」ということが、
「異言語の洪水の中にいる」ということが。

今ではALTと授業の打ち合わせもするし、英検もTOEICも文部科学省の提示したレベルを超えるまでにもなった。
もちろん、それはあの時から十数年もの時が経ったからであり、私が勉強したからである。
けれども、あの時の感情は忘れていない。
だから、私はいつも「オールイングリッシュ」という言葉を聞く時、この経験を思い起こす。
生徒達に、あの時の私のようにどうしようもない孤独を味合わせないためには、どうすればいいのか?
安易で考えなしの、教師の独りよがりな「オールイングリッシュ」は、無数の私を作り出す。

嗚呼、正直に書いとこう
私はその時、先生「たち」を恨んだのだ。
英語に何の手加減も加えなかったALTを。
そして、それを許したJTE(日本人英語教師)も。

 

これは、私のルサンチマン。
一生抱えていく、私自身への警告でもある。

 

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